皆が健康で
2人のお金が貯まって
2人の生活が幸せになる
場所が見付かりますように
博昭 朋子
[三島市 三島大社]
「皆」が「2人」にあっさりすり替わっているのは良い。
すり替わったと言うより、まずは皆のこと、おそらくは2人の親兄弟など家族のこと、あるいは友人たちのことを願っておいて、さて自分たちは、という訳である。
「2人の生活が幸せになる」で改行になっているのは原文通りで、その末尾にはハートマークも記されている。
しかし、これはここで切れるのでは意味が通じない。
「2人の生活が幸せになる場所が~」という意味であろう。
それは間違いないと思うし、もっと言えば「2人のお金が貯まって2人の生活が幸せになる場所」であろう。
だが、そうだとすると、この「場所」とはいったい何を指しているのか?
お金が貯まる場所というからには、家賃の安い、コストパフォーマンスの良いアパートか?
「生活が幸せになる」という日本語は少々おかしいが、幸せな生活という意味なら、この解釈が適切だろう。
とは、思うのであるが、お金が貯まるという部分に注目すると、給料の良い会社というふうにも解釈できる。
博昭クンと朋子さんは、同じ職場で働いていて、今の給与待遇に大きな不満を抱いているのかも知れない。
さらに、それとも、おふたりはそういう具体的なことを言っているのではなく、もっと総合的かつ広い意味で、たとえば自分たちにとってのそういう「世界」を欲しているのかも知れない。
ある特定の場所には霊力か何かが働いていて…といった方向に進む話でないことだけは、おふたりの将来のためにも、願いたいものである。
一見、平凡で何ということもなさそうな願文であるが、探求者(筆者のことだが)にとっては案外、奥深いものがある訳である。と、一人合点(独善ともいう)しておこう。
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