神恩感謝
ロト7の一等が当たりますように
平成26年8月11日 小野真知子
[大阪市 住吉大社]
先に感謝するという形を採って、そのあとから自分の願い事をするというのは、願かけ絵馬ではよく見られるテクニックである。
多少、姑息な印象は免れないが、相手は神様なのだから何、そこまで気にする必要はない。
だが、それも程度問題である。
この小野真知子さんは、3度にわたって同じ手法を、それもほぼ同じ願文で繰り返しているのである。
神恩感謝
ロト7の一等があたりますように
平成26年9月3日 小野真知子
[大阪市 住吉大社]
神恩感謝
ロト7の一等が当たりますように
平成26年9月23日 小野真知子
[大阪市 住吉大社]
無論、最初の頃の願掛けの後、実際にロトに当選したから、その感謝を述べている、などということはないはずだ。
要するに、ロトに当選したい、当選させてくれとお願いしているのである。
確認はできなかったが、おそらく同じ絵馬がもっとあるのではないか。
そして、そういう絵馬の奉納は今後も延々と繰り返されるのではないか。そのように判断せざるを得ないのである。
もうこうなると、願掛けもしくは願文作成のテクニックといった域を超えており、これは住吉大社の神様に対して、一種の強要行為を働いているとしか言いようがない。
他方で、依存症などという言葉も頭に浮かび、真知子クンの人生は大丈夫なのかと、他人ごとながら心配したくなる訳である。
宝くじを買い続ける人は珍しくないだろうが、その購入のたびに神様に願かけをする人というのはたくさんおいでなのだろうか。
真知子クンが、ロト6でもなく、ミニロトでもなく(宝くじのことはあまり知らないのだが)、ここまでロト7に固執する理由についても考察しようかと考えたが、その気力は失せてしまった。
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