みんなのおかね
をだいじにしたい
とおもいます。
すずき たかのり
てっぺい
えみこ
ともみ
[焼津市 焼津神社]
字詰め、改行などは原文のままである。
「~を」「~と」などの使い方が、いかにも子どもらしい。
全文ひら仮名という願文も、文字をおぼえ立てだという感じがありあり判る、たどたどしいカナ釘流だ。
ま、筆者も字は汚いのであるが、いかにも子どもを思わせる筆跡なのだ。
こういう、願かけ絵馬の考現学なるガクモン研究をしていて、いつも思うのは子どもの願いというのはほんとうに微笑ましく正直で素直で、案外、正鵠を射ていることも多く、なるほどと思わされることが少なくない、ということである。
…と思っていたら、この願掛けはわからない。
大人を戸惑わせるものがある。
先ほども説明する通り、この願主たちは、文字もおぼえ立ての小学校1年生、あるいは幼稚園くらいの年齢である。その可能性が非常に高い。
で、そういう子どもたちが言う「みんなのおかね」とは、どういうお金であろう。
おそらく2人ずつの男の子と女の子、4人が連名で神様にお願いするというか、「大事にします」と誓うお金とは、いったいどういう性格の金員なのであろう。
まず4人の関係であるが、願主の名前は、ひとり、たかのりクンだけが「すずき」なる苗字を書いているが、他の3人はファーストネームのみである。
ということは、この4人は兄弟姉妹ででもあるのか。
それにしては、全員の筆跡が同じように幼い。
たかのりクンが一番年嵩で、彼が全員の願いを代表して書いたのだとすると、他の弟、妹は、それより年下ということになり、一番下の子は、2、3歳ということになりかねない。
そういう子供たちにとって「みんなのおかね」というものが、あり得るのか。
その考え方には少々、いや相当に無理があると言わざるを得ず、おそらく全員、同じ年齢、同級生か何かだと推論する考え方もあり得る。ほかの3人は、苗字を省いたのである。
この解釈にも無理がない訳ではないが。
で、そんな彼らがそろって「みんなのおかね」と言うのであるから、4人の友達の共同所有金があるということになるが、そうなるとまた、そのお金の性格は何ぞや?という話に戻ってしまう。
全員がお年玉をもらって、それを何か将来に向けての共同目的のためにプールしているのか。
小学校低学年や幼稚園くらいの歳で、そういうことをするのか。
あるいは、それぞれがもらったお年玉を、それぞれが大事にしたいという願いを、まだ日本語に慣れていない(?)ために、「みんなのおかね」という表現になってしまったのか。
しかし、そのくらいの歳の子なら、全員揃ってお年玉を貯め込むという考え方になるというのも、変であろう。誰か、ガンダムか何かのオモチャを買いたいという子がいて当然である。
う~ん、判らない。
いや、ちょっと待った。この4人が四つ子ちゃんだったらどうか。それで万事解決しないだろうか。受講生諸氏のお考えはいかに?
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