武藤紀代子
高崎芙美子
の家族一同
と縁切りが出来ますように。
どうかお願が届きますように。
(無署名)
[大阪市 生玉神社摂社 鴫野神社]
さあ困った。非常に難解である。
せめて願主名でも書いてあれば、何とか推測は進められるのだが…。
別に難しくもないだろうとお考えになる受講生は、読みが甘い。
それはまあ、単に無署名の願主が、武藤紀代子や高崎芙美子および、その家族一同との縁切りを願っていると読むのは簡単である。
武藤家とも高崎家とも縁戚関係はないものの、どうしようもない腐れ縁に悩まされている人物が、その縁切りを願っているという解釈だ。
あるいは、願主は単に武藤紀代子さんと高崎芙美子さんを嫌っていて、家族については坊主憎けりゃ…の伝で、付けたしただけとか。
しかし、じっくり考えてみると、武藤紀代子さんと高崎芙美子さんが願主であって、そのお二人がそれぞれの家族を嫌って縁切りを願っているというふうに読めなくもないのだ。
お二人は何らかのとても強い結びつきがあって、あるいは共通の困難を抱えていて、家族がその結びつきを邪魔だてしていたり、家族そのものが困難の理由になっていたりする訳である。
そうなると、また、その結びつきとは何ぞや、困難とは何事ぞと疑問は膨らんでいく。それとも、深読みが過ぎるのだろうか。
そして、この二人は、何歳くらいの女性なのだろうか。
いくら考えても、謎は深まるばかりである。
筆者のたくましい妄想力、もとい、鋭い考察を持ってしても、受講生諸氏の同感や共感を得られそうな解釈は、できそうにない。
またも、ギブアップである。