夫・稲田譲治 S47.×.×生まれと
一日も早く縁が切れます様に。
一日も早(ママ)きれいに離婚し、
稲田譲治が○区から消えますように。
子供達が父と縁が切れます様に。
一日も早く良縁と出会い
しあわせに人生やりなおせます様に。
洋子、絵里、友里、真理
母・佐代子がしあわせになります様に。
稲田洋子
大阪市○区○丁目○○○
[大阪市 生玉神社摂社 鴫野神社]
第百一講と同じく、縁切り、縁結びで売り出し中の、もとい、多くの祈願を集めている生玉神社摂社、鴫野神社の奉納絵馬である。
戸籍上は今も、稲田譲治氏と夫婦関係にある稲田洋子さんが、離婚を願って祈願、奉納したわけだ。
絵理、友理、真理というのは、毎度同様、筆者の判断で仮名にしてあるが、一文字を共通にしてあるのは原絵馬も同じであるから、三姉妹なのであろう。
佐代子さんは、もちろん洋子さんの実母であろう。
要するに、稲田譲治氏は妻と子供3人に加えて、妻の母親とも同居していたようである。
その点ではまことに結構と言いたいが、どうもこれは、いわゆる「マスオさん」状態であったのではないか。
願文と願主の住所にある「○区」は、同じである。
そしてその○区から消えますように、という願文からは、洋子さんのほうが○区に土着してきた一族であることがうかがえるのである。
ひょっとすると、いや、おそらく、住まいも洋子さん側の持ち家であったのであろう。
洋子さんからすれば、男のメンツになど拘らず、連れ合いに先立たれた自分の親とも同居してくれる良い夫、佐代子さんからすれば良いお婿さんと思っていたのが、実はどうしようもないグータラであったのか。
それとも、ひどいDV夫なのか。
そもそも、この鴫野神社では縁切り・縁結びの絵馬の奉納にあたっては、
「心願(秘め事)は、ご神前にてご祈念ください。絵馬には、かぞえ年、干支、性別のみお書きください。」
という注意書きと、その【 解説図 】まで掲示してある。
内容が内容だけに、筆者のような野次馬、いや好奇心旺盛な学究の徒の目を憚ってのことであろう。
それにも関わらず、洋子さんはこのように詳しく、自宅の詳細な住所まで書き込んで、夫との縁切りを乞い願っているのである。
譲治氏の不行跡、不誠実、あるいはグータラぶり、もしくはDVは、相当なものであったと推察せざるを得ないわけである。