野上和仁と伊藤憲孝
との間を邪魔する悪縁
武智正輝が一切、僕ら二人に
今後一切関わらないように
縁切りお願いいたします。
そして武智正輝に新しい
良縁がさずかりますように
お願いいたします。
和歌山市××××
野上和仁(未)
[大阪市 生玉神社摂社 鴫野神社]
記念すべき第百一回だというのに(何でもかんでも記念か?)、またも微妙な試料を選んでしまった。
この鴫野神社というのは、生玉神社内にある多くの摂社の一つで、何でも昔は大坂城の東側、鴫野(しぎの)の地にあった弁天社で、あの淀君が崇敬していたという。
それが、いつの時代か大坂城との縁が深いとされる生玉神社の中に遷されたらしい。
その願掛け界における位置づけとしては、女性の守護神として縁結び、および悪縁切りに霊験あらたかと標榜する神様である。
もちろん、今のような時代であるから、悪縁切りの願いのほうが圧倒的に多いのであるが。
で、やはり悪縁切りを願ってこの絵馬を奉納した願主は女性ではないのだが、もちろん、鴫野神社の神様は、そんな小さなことには拘らない。
縁切り、縁結びという点で条件はクリアしているのである。
で、これはもう、明らかに同性愛方面の三角関係である。
その方面の方々の恋愛感情というものには筆者は疎いから、よく理解できないが、武智クンはかなり横恋慕しているようである。
そして、願主が野上クンであるところを見ると、どうやら武智クンが思いを寄せているのは伊藤クンのほうだと、推測できる訳である。
まあ、筆者としても他人事ながら、どうか穏便に円満にと願う次第であるが、最後の3行を見るに、野上クンはなかなか男らしいところがある御仁のようである。
いや、今の時代、男らしいとか女らしいとかいう考え方、感じ方が適切でないことは重々、承知しているのであるが。
その点はさておき、なぜ野上クンが「男らしい」かというと、単に武智クンの横恋慕を拒絶するだけでなく、武智クンその人の良縁、おそらく他の新しい「恋人」の登場までお願いしてあげているからである。
無論、武智クンに別の「恋人」ができれば、自分たちの災いの元もなくなるという、功利的な願いと読めなくもないが、ここは野上クンの良心を信じたい。
いや良心と言うよりも、同じ性的嗜好を持つ者同士、武智クンにもその嗜好を貫いて幸せになってもらいたいという、広い心と言うべきか。
それに比して、「恋人」などとカギカッコ付きでしか書けない筆者の旧弊固陋をこそ、大いに反省すべきだと思う次第である。
第百講 目 次 第百ニ講