作家
あるべき場所の
海外人生
裁いて日本を庭にする誘拐犯にあわない
鈴木 美由紀
[大阪市 高津神社]
久しぶりに歯ごたえのある、というか難解な願文である。
フエルトペンではあるが、達筆と言ってよい筆跡であり、それ相応の年齢と推察される願主である。
改行や文字詰めなどは、原文の通りである。
解釈に苦しむが、この願主はおそらく作家なのであろう。
もちろん小説など執筆する作家であって、間違っても人形作家などではないはずだ。
どうやら、その作家である自分のいるべき場所は日本国内などではないと、達観なさった様子である。
作家たるもの、海外でこそ創作活動に勤しむべきであるとお考えなのであろう。
でも、治安の良くない海外では身代金目当ての誘拐事件なぞも多発しているから、自分がその被害者になるような事態は避けたい、という願いなのだろう。
その辺りまでは何とか判る。というか、多少強引ながら、何とか解釈もつけられる。
しかし、判らないのは「裁いて日本を庭にする」だ。
断言するが、筆者の誤認、誤記などではないし、願文には句読点も使われていない。
「裁いて日本を庭にする誘拐犯」に「あわない」ことを願っているのか、それとも「裁いて日本を庭にする」という願いと、「誘拐犯にあわない」という願いが、並列になっているのか。
おそらくは前者であろう。
後者だとしたら「裁いて日本を庭にする」が、まったく意味不明、解釈不能である。ま、前者でも解釈は非常に困難なのだが。
しかし、強引に解釈できないことはない。
「庭」というのは、いわゆる法廷のことではないか。
「裁く」という言葉からすると、「裁きの庭」などという言い方もあるように、法廷のことと解釈するのが妥当だろうと思われる。
法廷は英語ではコート(court)であるし、英語のコート(court)には、「中庭」の意味がある。
だから何だ?と言われると躊躇するし、どういう理屈だと問い詰められると立ち往生せざるを得ないのであるが、この願主はその辺りをなんとなく混同というか連想というか、ごちゃ混ぜにして、「裁判沙汰になるような誘拐事件に巻き込まれたくない」というような願いを表現しているのではないのだろうか。
かなり苦しい解釈ではある。
「作家 あるべき場所の 海外人生」というくだりの語順や助詞使用のおかしさなども考え合わせると、日本語がそれほど堪能でない外国人が、英語で考えた願いを日本語にしてみた、というような印象もある。
だが、それにしては冒頭に記した通り、文字の達筆さがどうにもそぐわない。
甚だ不謹慎というか無礼な推測ではあるが、この願主は、作家ではあるものの言語能力に何らかの障害でも抱えているのであろうか。
いや、それではあまりに失礼である。この願主は、独創性を重んじる芸術家として自分独自の文法ルールというか、自分の文法世界を確立なさっているのかも知れない。
それともこれは何らかの暗号なのであろうか。
ギブアップである。