看護婦として
人々の健康の保持増進に
尽くすことができますように。
石巻赤十字看護専門学校
須藤朋子
[石巻市 羽黒山鳥屋神社]
願文だけ読むと、職業人として自らの使命を全うしたいという、ごく真面目な願いである。
「人々の健康の保持増進に尽くす」なぞ、なかなか素人に言えるセリフではないのである。
だが、絵馬の奉納者のところを見ると、何のことはない。
須藤朋子さんは、まだ職業人になっていない。
これから、看護婦(これは朋子さんかそう書いているからであって、筆者としては「看護師」と認識している)をめざそうという看護学校の学生さんなのである。
つまり、願文の主意は、最初の1行に隠されていたのだ(少し、大仰だが)。
要するに、看護婦(前記に同じ)になりたい、看護師試験に受かりたいという祈願なのである。
もちろん、須藤サンに、看護婦(前記に同じ。くどいか)になりたいのは人々の健康の保持増進に尽くしたいからだという、大きな願いがあることは否定しない。 しかし、当面の願いは看護婦(前記に同じ。しつこ過ぎるか)になること、看護師資格の取得にあることは、ご本人も認めるのではないだろうか。
察するところ、「人々の健康の保持増進に尽くす」というのは、学校の教科書か何かに書いてあった言葉であろう。
看護師心得十か条みたいなものがあって、その3番目の定めなのかも知れない。
どちらでもいいが、それをこういう願文に持ち出して、自分の高潔な大志を強調する手法、ストレートに「看護師試験に合格させてください」と書かないやり方というのは、神様にちょっとでも良く見てもらおうとしたのかも知れないが、少々素直でないようにも思われるのである。
まあ、他人の性格の素直さを云々する資格など、筆者にはまったくない訳であるが。