髪がサラサラになったらいいのにな。
ついでに、待ち人も来たらいいのにな。
×× ×××
[宮津市 山王宮日吉神社]
別段、何の不審なところもないオネガイである。
美しい髪を願う気持ちと、待ち人、つまり恋愛に関する願いを一緒くたにして書いてしまうというのも、まあ、今の若い人らしい。
「ついでに」なんていうお手軽な覚悟では、待ち人も当分来る気遣いはないヨと、その程度の憎まれ口をきくしかないような、平凡な願文である。
では、なぜ筆者はこの願文をサンプルとして採集したか。
鋭い読者ならば、もうお気づきであろう。
ポイントは、「×× ×××」として伏せた願主なのである。
何と、この絵馬を奉納したのは、桑野雄一郎なる男性なのだ。
いや、桑野雄一郎というのは筆者が考えた仮名であるが、絵馬に記されていた元の名前も、そう大差ない感じの男性名であった。
このあたり、ややこしい話で恐縮であるが。
で、あえて「男」と性別が明記されているわけではなかったが、まさかこの手の名前で女性ということはあるまいと思うわけだ。
文字の印象からすると、高校生くらいだろうと推察された。
にしても、サラサラの髪とは…。
茶パツだの金髪だのが流行っても、やはり髪は女の命、女性が美しい髪を願う気持ちは変わらないのだと思って読んだのであるが、願主が男と知って、筆者は思わずのけぞってしまった。
いや、もちろん男だって、髪の毛は気にする。
早い話、気にかけるべき髪の毛の本数が減少しつつある現実を前に激しく動揺し、何とかジル配合とかいう医薬に救済を求めようか、それともいっそ例のアレを被ろうかと苦悩する男性諸氏は、決して少なくはない訳である。
しかし、このサラサラの髪を欲している桑野クンなる男性の場合、どうもそういう悩みではなさそうだ。
あっさりした願文からは、たとえばひどい縮れっ毛に思い悩んだ末に、という切実感も読み取れない。
要するに、テレビのCMで女性モデルが頭を振って見せつけるような、文字通り、サラサラの髪に憧れているのであろう。
…と、ここまで考えて、気がついた。
今の世の中、筆者のようにこの願文を妙だと感じる男性は、果たしてどれほどいるか。
それはむしろ、すでに少数派なのではないか。
この願文は、言ってみれば、読む者の「オヤジ度」を計るリトマス試験紙ではないだろうかと、しみじみオヤジを自覚した筆者であった。