ことしもおねがいします
お金持っちになりますように
アヤカ
[福岡市 櫛田神社]
鉛筆書きの、非常にたどたどしい文字である。
おそらく、小学校低学年くらいの女の子であろう。
「ことしも」というのは、昨年もお願いして願いが叶ったから、今年もまたよろしくという意味ではないだろう。たぶん。
単に、昨年もお願いしたけれど、今年もお願いしますという話である。昨年のお願いが叶って「お金持っち」になったのなら、今年はもうお願いする必要はないし、もっと「お金持っち」にというのなら、そういう意味合いのことを書くはずだろう。
つまり、去年の願いは叶えられなかったと見るのが妥当である。
整理すると(それほどややこしくもないが)、願主であるこのアヤカちゃんは、櫛田神社の神様に昨年も「お金持っち」(くどいな)になりたいと願いを掛けたのだが、それが叶えてもらえなかったので、今年もう一度、同じ願いを掛けているのだ。
何も、それがいけない訳ではない。
しかし、小学生かそこいらの年端も行かない子が、毎年、神様に金銭が欲しいと願う風潮というのは、いかがなものであろうか?
大人の世界の価値観や風潮が、こんな子供にも反映されているだけと言えば、それまでであるが。