夫とおだやかに
はなれますように。
N
[熊本市 藤崎八幡宮]
何と言うか、実に味わい深いのである。
無地の絵馬の裏面に、何の飾り気もなく、余白を十分に取って、というより、若干小さ過ぎる文字で、淡々と認めてある。
心中を表すような激しい筆使いもないし、文面もご覧の通りの実にあっさりとしたものだ。
しかし、である。
だからと言って、このNさんの覚悟がいい加減なものとは言えない。
淡々として落ち着いた短い文面だけに、筆者は、かえってそこにNさんの心中深く秘めた、固い決意を読み取ってしまうのだ。
DV夫なのか、あるいは、博打狂いの甲斐性なし夫なのか、はたまたマザコン夫なのか。
この文面だけではそのあたりの事情は解明できないが、ともかく、条件なんぞはどうでもいいから、ゴタゴタなしで、また早いにこしたことはないけれども、そんなに焦りもしないので、何とか後腐れなく別れたい、そんなNさんの気持ちだけはひしひしと伝わってくるのである。
これが、まだ結婚していない恋人か何かの間柄なら、「おだやかにはなれる」という表現も理解できるが、夫と言う以上、夫婦である。
それが、「はなれますように」。
静かに、しかし、確実に、別れたいというNさんの切なる思いは察するに余りある。
…ような気がする。
Nさんが無事、円満離婚に漕ぎ着け、人生の次のステップを踏み出すことを願うばかりである。
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