2004年はとんちのきいた、
気持ちの良い生活がおくれますように。
家族や大切な人がみんな健康に
楽しくすごせますように。
2004年元旦
よしこ
[赤穂市 大石神社]
「とんちのきいた」という、何とも時代錯誤的な表現がほのぼのとして楽しいが、それにしても大石神社とはミスマッチな願い事だと、最初は読んだのである。
ご存知の方も多いだろうが、この絵馬が奉納されている赤穂市の大石神社というのは、例の忠臣蔵で有名な赤穂浪士、大石内蔵之介をはじめとする四十七義士をお祭りする神社だ。
絵馬にも、表面には討ち入りの絵があり、裏面にも、あらかじめ
「祈 願望成就」
「大石神社 四十七義士 御神前」
と、鮮やかに墨書してある。
そういう神社のそういう絵馬に、「とんちのきいた、気持ちの良い生活」とは…。
普通の人間が二人で話せばそのまま漫才になると言われるほど、関西人独特のユーモアセンスは有名であるが、それにしても、よしこサンなる、おそらくごく平凡な女性が、年頭にあたって「とんちのきいた」生活を願うとは…。
まったくもって、関西人恐るべし、と最初は解釈した訳である。
だが、じっくり考えてみると、どうもそういう解釈は浅過ぎるような気がしてきた。
なぜなら、平凡ではあるが、後半部分がごく真面目な印象で、それを踏まえて前半を読み返すと、また違った意味が浮かび上がってくるのだ。
つまり、「とんちのきいた、気持ちの良い生活」とは、当意即妙、機転の効いた対応で、自分も周囲の人々も気持ち良く過ごせる生活、という意味であろう。
よく考えれば、赤穂市はオモロイ人間が蝟集すると言われる大阪圏からは外れているし…。
この嫌なご時世、毎日の生活の中で、不愉快なこと腹立たしいことはあるが、それにいちいち目くじら立てて反応するのではなく、頓知、ユーモア感覚をいかした対応をすることで、皆が気持ち良く過ごせるようにしたいという、非常に謙虚で真面目な願いなのだ。
よしこサン、なかなか見上げた人物である。
何歳くらいの女性だろうか?